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このページは私の思いが書いてあります
お伝えしたいことはたくさんありますが…
思いがあり過ぎて…
お伝えできないのです
またどんなに時間をかけても
お伝えしきれないのだとも思います…
色々な立場の方がここを訪れてくださると思いますが
その辺をご理解のうえでお読みください
ある事件をきっかけに、全く関係のない次男を巻き込んでしまいました。
暴走族に捕まってしまった子どもたちを助けたことが原因で、逆恨みをされて
更なる悲しい出来事が次々に起こってしまいました。
正しいと思う事をした結果、それが原因で大切な息子を自死で亡くしました。
「人を助けるのは良い事だが、そのせいで自分の息子に何かあったらどうするんだ」
と私が父から叱責された2時間後に外出したままだった次男の訃報が入りました。
その瞬間に私の人生が足元から崩れ去り、全てを失ったような思いになりました。
私の時間はその時から止まってしまい、全てが終わったと思いました
地球が爆発して何もかもすべて無くなればいい
被害者で犠牲者であり、加害者でもある自分を、全てを呪いました・・・
私自身も幼い頃から生きる意味が分からずに
死にたいと思っていた子供でした
生きていけない感覚
生きていてはいけない思い
この世は生き辛く、虚しかった・・・
早くこの生を終わりにしたいと思っていました
でも大切なかけがえのない命と引き換えに
息子の死を通して
生きること、生かされていることを学ばされました
悔しくて情けなくて悲しい思いをいっぱいして
それでも生きていかなければならないと分かった時
被害者・犠牲者・加害者としての人生を手放しました。
すると…止まっていた私の時間が再び動き出したのです♪
その時から自分自身の人生を歩き出すことが出来るようになりました。
私が味わった苦しみや悲しみを二度と繰り返して欲しくない
そんな思いで過ごしています
毎年、年間3万人以上の方が自殺で亡くなっています
自殺対策支援センターライフリンク、全国自死遺族総合支援センター
その他の方々が一生懸命に努力してくださっています
私も少しずつですが、出来る事を始めています
「自分を殺したんじゃない、好き好んで死ぬんじゃない、死ぬしか方法がなかったんだ」
という意味で自死という言葉が使われています
「死にたい」は「生きたい」
うまく生きられないから、生きる方法が見つからないから、希望がないから、生きていけない。
だから死ぬしか方法がないと思ってしまう
「死にたい」のではなくて「生き辛い」
生きていくのが辛いのだと思います
でも、生きて居てくれさえすれば…死ぬ以外にも何か方法があるのでは…
一緒に考えよう、きっと何かあるはず・・・
ううん、必ずあるよ!!
「死なないで・・・あなたに生きていて欲しいから・・・」
きっかけは何であれ、逝く人にも遺された人にも、二度と誰にもこの思いを味あわせたくない
こんな経験は私達だけで十分!
そう思ってこのページを立ち上げました
遺された家族の思いなどを伝える事が出来れば
今一度立ち止まって、考え直してもらえれば・・・
かけがえのない大切な命だから、死んで欲しくないから
もしかしたら悩んでいる方が、検索機能にヒットしてこれを読んでもらえたら…
そんな思いを込めて、ここではあえて自殺という言葉を使っています
悲しい経験や思いをする人が少しでも減るような活動をしています
遺された方への集いの開催や、自殺未遂の方への支援もしていきたいのです…
この思いが大きな輪になりますように!!
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自死で子どもを喪った方の遺族支援自助グループで活動中です
毎月第2木曜日かながわ県民センター15階で活動しています
来所出来ない方の為に電話相談もはじめました
詳しくはホームページをご覧ください
横浜市こころの健康相談センター(045−476−5505)
「自死遺族の集い・そよ風」
「かながわ県民センター」で開催しています
自死遺族専用ホットライン 045−470−2020
2009年1月13日に、神奈川県社会福祉協議会の「当事者の語りから学ぶ集い」で、
お話をした時の冊子ができましたので、掲載をいたします。
私は子供の頃から生きづらい思いを抱いていて、ある意味では生きる事に絶望していて悩み多き人生を送っていました。
そして、中学生のときには自殺肯定論を書いて教師や親に叱られたこともあり、生きている意味が分からずに随分苦しみながら成長をしました。
幼少から思春期を悩みながら過ごして、何かと問題の多い人生でしたが、3児の親となりそれなりに悩みや幸せを感じながら過ごしていたある日、事件は起こりました。
暴走族に捕まってしまった子どもたちを助けたことが原因で、逆恨みをされて事件に巻き込まれたのです。
正しいと思う事をした結果、それが原因で大切な息子を自殺で亡くしました。
「人を助けるのは良い事だが、そのせいで自分の息子に何かあったらどうするんだ」と私が父から叱責された二時間後に外出したままだった次男の訃報が入りました。その瞬間に私の人生が足元から崩れ去り、全てを失ったような思いになりました。
信じていた人達に裏切られて、良い事をしたはずなのに何故息子を亡くさなければならなかったのかが理解出来なくて、起こった出来事を認めることもできずに、苦しみました。
当然両親や周りから責められましたが、それ以上に自分自身を責め続けました。
いっそ死んでしまいたいと思って過ごしていましたが、年老いた両親や二人の子どもの事を思うと死ねませんでした。
私たちを裏切り次男を死に追いやった友人や関係者を怨んで過ごした時期もありました。自分自身も他の人も誰も信じられなくなり、人と関わるのが怖くなってしまって、孤独感や孤立感に襲われて不安と混乱の中で戸惑い、心無い人の中傷にも苦しみました。悔やんで悔やんでいつも後悔をしながら「あの日あの時に戻れたら」と、どんなに思った事でしょう。
それでもいつしか時間の経過とともに私のかたくなな心は、温かい人達との触れ合いの中で少しずつ元気を取り戻し、現実を受け入れられるようになっていった頃、先立った息子が夢に現れて「ママ、もう泣かないで。悲しまないで幸せになってね。誰の事も恨んでいないよ。」「人もママ自身の事も許してね。いつも笑っていてね」と言ったのでした。
21歳の息子との永遠の別れを12年前に経験して、改めて命と向き合うことになり、生きることや生かされていることの意味を学びました。
人によって傷ついた心は、人によって癒されなければならないのです。
やはり人は人の中でしか生きられないのです。
そしていつの頃からかこの悲しい出来事を繰り返さないために、傷ついた人に一つでも多くの笑顔が戻りますように・・・私の経験がお役に立てればとの思いを実行し始めたのです。
後悔や怨念を手放して全てを許して受け入れたときに、一番許されてホッとしたのは私自身でした。
毎年自らの命を絶つ人が増加しているので、とてもやり切れない思いでおります。
死にたくて死んだのではない、自ら死を選ぶしかなかったのだという意味で自死という言葉が使われるようになってから随分経った気がします。
自殺をどう呼ぼうと生きることよりも死を選んだことには変わりはありませんが、どのような事情や理由があっても死なないで欲しい、こんなに悲しい思いをする人がこれ以上増えないで欲しいと切に願っております。
「死にたい」は「生きるのが辛い。うまく生きられない」というサインなのです。思うように生きられなくて絶望して人生を終わりにするしか方法のなかった方たちはどんなに心残りだったことでしょう。
そして先立つ不幸の後には、かけがえのない大切な命を喪って傷つく家族や友人の悲しみや憤り、自責の念や戸惑い、言葉で言い表せない程の情けない思いと後悔を残します。
本来、私達はみな幸せになる権利と義務があるはずなのですが・・・
「息子が生きていたらどんなだろう」と思ったこともありましたが、起こったことはなかったことにはできませんし、過ぎた時間は二度と取り戻せないのです。
つらくて時間がかかるとは思いますが、先に旅立った人たちの思いを遺された私達が受け止めて、それぞれの人生を生きぬくことが大切なのではないでしょうか。
後悔や償いの人生を送るのではなく、生かされている意味を考え、命を大切にして生きることができれば、先に逝った人たちの思いにも報いることができるのだと思います。
今は希望が持てないかもしれませんが、希望が持てない時だからこそ、「今はつらくても、今は無理でも、いつか望みは叶う」と思って欲しいのです。
この10年間連続で年間自殺者が3万人を越え、なお増え続けています。
この悲しい現実が急変するのは難しいかもしれませんが、少しずつでも私に出来る事をしていきたいと思っております。
苦しみの最中にいらっしゃる方に一つでも多く救いの手が差し伸べられて、少しでも心安らぐ時が訪れますようにお祈りをして終わりに致します。